今日は、超久々の熊大勤務。
かれこれ2ヶ月ほど何やかんや理由つけて行ってない。
まじで久々。
いつもの時間に出発したが、車は混んでおらず、快適に到着したが、
まだ警備がかかってるというね。。。
という事で、車に戻りブログってる。
今日の朝、素敵な光景を目にした。
横断歩道を渡る弱視の男性。
杖をつきつつだったが、横断歩道を外れ、点字ブロックを探している。
車の通りも多い朝の時間。
危なくて、車を降りようとしたら、横断歩道の逆サイドで待ってる女子高生の子が、
すぐさま自転車を置き、素早く走って、手を取り、点字ブロックの方に誘導してくれた。
見てるだけで、心が洗われた気がしたな。
彼女は、素晴らしい学校生活を送ってる事だろう。
先日、せいじさんが会員に向けて、メールした文書がある。
そこには、
学校生活の乱れやSNSの誤った利用など、、、
という一文があった。
俺らが見る子ども達の姿は、
家庭・学校・クラブ・プライベートという居場所の中でのほんの1箇所で、
ここで見る姿が全てかどうかは分からない。
もちろん、子どもだし、多感な時期であるし、全ての姿が一致しなくて良くて、
それぞれの居場所で、例えば癒しがあったり、厳しさがあったり、
甘える事もあれば、気を引き締める事もあるのが当然だと思うが、
何というか、
芯に関わる部分は、しっかり持っておいて欲しいと思っている。
芯がなければ、おそらく居場所によって顔を変え、
線引きというのも、自分軸ではなく、人によりけり、その場によりけり、
そんな曖昧さによって、自分を律する事を見失うだろう。
俺らは、関係上、たくさんの学校関係者と接する場面がある。
あの子は、サッカーも頑張ってるようだし、学校生活もしっかりしてますね
なんて言われれば、
それはそれは嬉しいものだが、
サッカーは頑張ってるようだけど、学校生活をもっとちゃんとさせなさい。
これは、つい先日、実際にお世話になってた教員の方に言われた事だが、
そんな話しを聞かされると、
シンプルに、今サッカーがうまくいってても、将来壁にぶつかった時にこの子は越えれんな
と思ってしまう。
クラブの人間、そしてサッカーの指導者なんで、
俺らは、サッカーを上手くさせ、チームが勝つように導き、そこにコミットして高い目標を掲げて日々邁進する。
そんな個と集団を作るのが役目なんだが、
それを達成するための芯になっているのは、
間違いなく、人間力の育成だと思っている。
サッカーで成功しようが、成功しまいが、
人間力が高まれば、何か大きなものを手にするだろうし、
その大きなものというのは、個人における目標達成や、夢に向かう力だと思ってるが、
そんな芯がないと、
クラブが掲げてる目標はもとより、何も達成する事には近づかないと思っている。
色んな事が溢れかえり、色んな手段が溢れかえり、
居場所なるものも多様化している。
その中で、確固たる芯がないと、
実は、生きづらい世の中になってるんじゃないかと俺は思う。
多様性とは、どんな個も受け入れるように見えて、そんな解釈をしがちだが、
別の解釈をすると、生き残るためには、芯の重要性が問われてる時代じゃないかなと。
話は飛躍してしまったが、、、
子ども達の居場所は、様々なところにある。
理想は、同じ目線に、保護者・学校・クラブが立っている事。
子どもは間違いを犯すし、それでいいと思ってるし、それが自然なんだが、
どんな芯を作ってあげるかは、
それぞれの居場所での大人の導きにあると思うし、
それが大人の責任だと思う。
自然と手を差し伸べた女子高生。
こんな気遣いをできるのは、おそらく芯がしっかりしていて、関わってきた大人も素晴らしいんだろう。
やがて、子ども達も大人になる。
サッカーを通して立派な大人に育って欲しい
が、俺らが一番に思う願いである。










